オシャレなオシャベリなブレイクダンスエンジェル
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「必要を感じてから学べば十分英語を身につけられる」???

誰が必要だと感じるのでしょうか???

バイリンガルは「バイリンガルである恩恵を十分に受けている」???

それほど、受けていないのでは???

「教えても子どもは英語をすぐ忘れてしまう」!!!

でもね、そもそも、お勉強は、「覚えては忘れ、覚えては忘れ」の繰返しでは???

「日本で育つ子どもに対し、日本語と同じぐらいの分量の英語を使う環境を作ることは、非常に難しい」と思います。

また、「最悪の場合、日本語も英語もデキソコナイの子に」ですね。

でもね、「最悪を考える」ことと、「最善を考える」ことの両方を考えないとね。

「本人がやる気になれば英語は習得できる」

やる気になるのでしょうか???

親はいつも、やる気のない子供に手を焼いているのでは???

ゲームには、簡単に、やる気になるのでしょうが!!!

結論的には、バイリンガルは必要、でも、非常に難しい、しかも、それほどのメリットもない―ということでは???

いずれにせよ、中学・高校の成長期は、「表現するべき内容のある人間に育てること」「感性や論理性を身につけること」「多様性に対する寛容力を身につけること」が先決ですね。

英語教育は小学校4年生くらいまでで一旦おしまいにして、やりたい人は高校卒業後に大学なり専門学校で学ぶ・学ばせる―というのはどうでしょうか???






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TOKIO山口達也の呼出し行為はいいのでしょうか???

「デキる大人の備え」によれば、上司や先輩からの急な飲み会呼出しに対し、
「断り方のセオリーとは、断ることを丁寧に謝る、相手が納得しそうな断る理由を述べる、お誘いのお礼を述べる、といった3つの手順を漏れなく実行すること」
と解説されています。

山口達也の場合は、「大人でない場合」ですね。
しかも、夜の自宅ですね。
更には、女の子を一人だけですね。

無茶苦茶ダメでしょう!!!
事件発生は「火を見るよりも明らか」なのでは???

友達を連れて行ったのは、とりあえずは、正解ですね。
友達がいなかったらと思うとゾッとしますね。

でも、正解は、難しいのでしょうが、断ることだったのではないでしょうか。

「飲み会呼出し」は一般的なのでしょうか。
根本的には、「飲み会呼出し」自体の見直しが必要・・・

本番に強い子
本番に弱い子

本番で日頃の実力を出せる子
本番で日頃の実力を出せない子

どちらが良いのでしょうか?
どちらでも良いのでしょうか?

好き嫌いの問題でしょうか?
差別を助長する問題なのでしょうか?

それでは、

本番に強くなりたいですか?
本番に弱くなりたいですか?

本番に弱い子に育てたいですか?
本番に強い子に育てたいですか?

褒めて育てる教育
子供は叱るよりも褒めて育てよう

褒めて育てる教育の功罪はイロイロ言われていますね
では、𠮟って育てる教育の功罪は???

𠮟って育てると、本番に強くなる・・・

とても面白い指摘ですね・・・






「新型うつ病」の原因は「ゆとり教育」ですね。

「ゆとり教育」は、1970~80年代のアメリカで失敗した「教育の人間化論」そのものですね。

「ゆとり教育」は、学級崩壊の状態を理想的な教育環境とでも考えていたようですね。

「ゆとり教育」は、規律のない教育です。

「新型うつ病」は、『仕事のときだけうつ状態になる』のが大きな特徴です。

職場には規律があります。規律にはストレスがともないます。

一般に、うつ病はストレスが大きな主な原因と言われています。ストレスに負けると、うつ病になります。

ストレスに負けない強い心を作る教育が必要だったのです。

ところが、「ゆとり教育」はストレスに負けない教育どころではありません。ストレスのない教育なのです。

「新型うつ病」は「ゆとり教育」が原因です。

「ゆとり教育」の中では、ストレス耐性が形成されないのです。ストレスのない世界でしか生きられないのです。

ストレス耐性のない「新型うつ病」の治療法が求められているのです。

「新型うつ病」は「働くことが出来ない」「働く性格能力がない」ということです。

大変に大きな問題なのではないでしょうか。表面化しているのは、まだまだ、氷山の一角に過ぎないのかも知れません。

以上


学校に行って得られるものは学校の勉強だけではないです。
学校に行って一番大切なのは、社会性を身につけることじゃないでしょうか。

面白いコメント頂きましたが、学校は何をするところなのでしょうか。

むかし、NHKの朝ドラに「おしん」というのがありました。
若い人たちは、内容について、詳しくは知らないかも知れませんが、「おしん」は、貧しくて学校に行けませんでした。
でも、時々、子守りをしながら、こっそり学校を覗きに行きました。

何を覗いていたか分かりますか。社会性を身に付けたかったのではないようでした。

「おしん」は学校の勉強の授業を教室の窓から覗いていたのです。

読み・書き・そろばんが学校教育の原点ですね。
「おしん」は、読み・書き・そろばんの勉強がしたかったのです。

今でも、読み・書き・そろばんが学校教育の原点なのではないでしょうか。

世界の貧しい国や地域では学校の存在も充分ではないようです。

社会性を身に付けさせる学校が求められているのでしょうか。
日本では社会性を身に付けさせる学校が求められているのでしょうか。

読み・書き・そろばんは、どういう位置づけになるのでしょうかね。

ゆとり教育の見直しが行われていますが、やはり、読み・書き・そろばん教育が学校教育の原点なのではないでしょうか。

社会性の教育は教師に対して行われるべきカリキュラムなのではないでしょうか。

教師にとっては、学校に行って一番大切なのは、社会性を身につけることなのかも知れませんがね。

以上